日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月12日の週報コラム「ひだり手」

「わたしたちは、本当に、『誰でもいい』のか」

★突然に激しい暴力が暴発し、何人かの人の生命が奪われて、後から「誰でもよかった」とつぶやかれる。そんな出来事が続くわたしたちの社会です。「誰でもよかった」とは、競争社会の中で人間性を摘み取られ、「誰でもいい」モノとされてしまった人の、爪を立てて、必死になって、何とか人間性にしがみつこうとした、その最後の叫びであるかのように響きます。誰が、彼から、人間性を奪ったのか。
★外の通りでは選挙カーがけたたましく候補者の名前を連呼し、「この人でなければ…」と訴えています。それを聞けば聞くほど「誰でも同じ」と思えてきてなりません。なりふり構わず「自分の当選」だけを欲すれば、人間はみな同じような、はしたない顔つきになってきます。こうして、街に名前の連呼される人たちこそが、人間の尊厳(かけがえなさ)を貶めているのかもしれません。
★どつからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
……
遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢやない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
……
誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、『天皇』の名で、目先まつくらになつて、腕白のやうによろこびさわいで出ていつた。
……
僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまつて、寂しさの根元をがつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
昭和二〇・五・五 端午の日
(金子光晴「寂しさの歌」より)
★本当に本気になってこの「寂しさの根元」をつきとめて、ひとり踏みとどまる人間のかけがえ無さを見いださない限り、人は次々と「誰でもいい」モノとされてゆき、同じことが繰り返されるように思うのです。
by oji-church | 2009-07-15 14:09 | 牧師からのメッセ-ジ