日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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5月17日の週報コラム「ひだり手」

「生きている者の神」(Ⅰ)

死者の中から復活するときには、、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ》(マルコによる福音書12章25節)

★この言葉を元のギリシア語に忠実に訳してみると「死者の中からよみがえらされる時には、めとることも『嫁がされる』こともなく、天使のようになるのだ」となります。実際この女性は、自分の意志で「嫁いだ」のではなく「嫁がされた」のです。そのようなこの女性の無念にイエス様は思いを寄せて語っているのです。つまり「死んだ後どうなるか」という議論のためにイエス様はこの言葉を語っているのではなく、今ここに生きている一人の人間として、一人の女性の苦渋に満ちた生涯に思いを寄せ、敬意を払い、その命の歩みを尊重するために、このように語っているのです。
★そのように考えれば、この後のイエス様の謎めいた言葉の意味も解けてきます。「死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」
★聖書では、神様は「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語りながらモーセの前に現れます。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」、人間一般まとめての神様ではなく「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と、それぞれ一人ひとりの人間に相対して向き合う神様として現れるのだということです。男性の家の血筋を守るための神様ではなく、この世にあってその意志も感情も無視されてしまうような、一人の女性を、精一杯大切にしようと向き合う神様として、です。(つづく)
by oji-church | 2009-05-21 15:50 | 牧師からのメッセ-ジ