日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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5月3日の週報コラム「ひだり手」

《二人、または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである》(マタイによる福音書18章20節)
★ここに「イエスが共にいる」と言われている人間の集まりには、場所がどこであるか、集まるのはどのような人かという条件は一切語られていません。この言葉の強調点は、「二人、または三人」という人の集まりの「小ささ」、また、それでもなお「わたしの名によって集まる」という、イエスへの思いにあるのでしょう。
★作家の小田実さんは晩年「民主主義」の原語に当たるギリシア語の「デモス・クラトス」という言葉を「小さな人間の力」と訳すようになったと言います。さらに亡くなる直前に、「小さな人間」の極致は「高齢者と赤ん坊」だと、ある人に手紙で書き送っていたそうです。
★確かに、高齢者と赤ん坊という存在は、爆撃を受ければ、爆弾を落とされれば、ひとたまりもない存在です。しかし考えてみれば、わたしたちの誰もが、かつて赤ん坊であり、そして齢を重ねてゆく存在なのです。わたしたちは本当は誰もが「小さな人間」であった。そのことを繰り返し繰り返し、振り返り、思い返し、立ち返ってゆくことが、わたしたちに求められていることなのでしょう。
★そうして、教会という建物や組織の枠を越えて、小さな人間同士として、出会う相手とお互いの痛むところ、悩むところを響き合わせながら共に、その痛み悩みからの解放を願い求めてゆく時、必ず主イエスはわたしたちと共におられる。それが教会という場の本来あるべき姿なのでしょう。
★その小さな人間の集まりこそが、実は本当にこの世界を、命の輝く場へと変えてゆく、大きな力を持つのだと思います。
by oji-church | 2009-05-07 09:30 | 牧師からのメッセ-ジ